当ギャラリーを訪れた方の目を、かなりの確率で惹くのがこの卓上ランプ群。
先日お越しの女性のお客様も「かわいい、かわいい」とつぶやきながら、子どもを愛でるような眼差しでご覧になられていました。
丸っこいキノコ型のフォルムはたしかにかわいらしいですが、当ギャラリーのようにいくつも並んでいると、その「かわいらしさ」も相乗的に増しますね。
かたちもそうですが、当ギャラリーでは近づいて作品をご覧になることができますので、その際は色合いやカメオ彫りも、是非じっくりとご堪能ください。
19世紀後半、美のエポックメイキングとなったアールヌーヴォー。その中心的存在だったエミール・ガレ(Émile Gallé)の重ねガラスのアートは、いまだ人々を魅了し続けます。
しかしその発祥地のフランスでは、現在この重ねガラスの工芸品は作られておらず、その製法や作風は、ヨーロッパでは唯一ルーマニアの職人に受け継がれました。
ここにある作品は、そうした難度の高い、ルーマニア製の手工芸ガラス製品です。
でもなぜ、ルーマニアでこのガレのガラス工芸が大きく栄えたのでしょうか?
古代、ローマ帝国の拡大により、帝国軍がルーマニアの先住民を征服、移住したローマ人(ラテン系)が先住民と混血となり、ラテンを基にした言語も誕生。やがてルーマニア語となりました。ですからルーマニアは、バルカン諸国唯一のラテン系民族。言語はイタリア語に近く、フランスなどの国とも親近性があります。
ガラス工芸は、帝国誕生からローマの地場産業でした。そんなガラス好きなローマ人のライフスタイルが、こうした歴史を背景にルーマニアにも根付きます。ルーマニアには、もともとガラス工芸の伝統があったのです。
時は進んで近世。ルーマニア国が誕生するとフランスとの交流が盛んになり、首都ブカレストは「バルカンの小パリ」と呼ばれました。時代はアールヌーヴォー期。ガレ風ガラス工芸の技術が流入します。
その後、本家フランスではガレが死去。ガレの死後もなお、工房は彼の遺族に引き継がれガラス工芸品の生産を続けましたが、世界恐慌などの影響で閉鎖されてしまいます。
一方、ガレ工房で働いていた職人の一部は、ルーマニアへ移住。そして工房の技術と作風を伝え、多くの腕のあるガラス工芸職人を育てました。
そして二次大戦後、チャウシェスク大統領の時代にガラス工芸専門学校が70年代開校すると、ルーマニアのガラス工芸技術が整理、統合され、国の一大アート分野となるのです。
こうした歴史と伝統に裏打ちされた技術の粋も、当ギャラリーでは時間を気にせずゆっくり鑑賞していただけます。貴方のお気に入りの「かわいい子」を、是非見つけてみてください。