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作品紹介6 マイセン

 この度、 当ギャラリー に、マイセンのコーナーがオープンしました。 コロナの影響で、オープンが遅れましたが、緊急事態宣言も解除され、この桜の季節にようやくお披露目の機会を得ました。 まず入口のショーウィンドウには、江戸時代の慶應年間に作られた「大きな古伊万里の花瓶」がお出迎え。 こちらが、マイセンコーナーの目印です。 この「古伊万里」は、中国の明から清へと時代が変わる時、ヨーロッパへ流れなくなった中国磁器に代わる絶好の品として、ヨーロッパへと輸出されることとなります。 ご存じの通り、初期のマイセンは、中国の磁器や日本の古伊万里の影響を受けて、誕生しました。 マイセンの磁器は、中国や日本の白磁に魅せられたザクセン公国アウグスト強王の命令で作られたのです。 マイセンの「親」のようなものですね。 室内には、マイセンの人形・食器を多数ご用意しています。 マイセンと言えば食器がすぐイメージされますが、人形は、300年近い歴史を誇るマイセン磁器の中でも特に重要なものです。 大きな人形は、各部分をそれぞれ別に作ってそれらを磁土でつないでいくなどして、時間をかけた繊細な手仕事で作られます。 マイセンの造形家や絵付け師は、食器とは異なった修業の後、専門家として、生涯を人形と共に過ごすと言います。 いわば人形は、マイセンの技術の粋の結集なのです。 当ギャラリー で、この神がかったマイセンの精緻な造形を、是非堪能してください。 Japan Art Prince(JAP株式会社)

作品紹介5 野田 正明

 以前、 別のページで「抽象的な絵は難しくない」というようなことをお話ししました が、それは、こういうことからもわかると思います。 点や線、形態は、「単なる点や線、かたち」ではなく、スピードやリズム、ウェイトなどがあるものです。 卑近な例を挙げると、マンガの「効果線」。 マンガに出てくる線は、「ただの抽象的な線」ではありません。 様々な動きや意識の集中などを雄弁に語ります。 スポーツ製品のメーカーのナイキのロゴマークを想像してください。 とても軽やかでスピード感を感じませんか。 絵で扱われるのは「数学に出てくるような抽象的な線分や図形」ではない、ということは、こういう日常的な例からもおわかりいただけるかと思います。 この野田正明さんの作品も、そうしたことを十分教えてくれます。 「野田の近作絵画は(中略)ドリッピングや吹き流しで彩られた背景の上に、色様々な多角形や多面体が散在して、(中略)カオスに思える。それらの形態はいくつもの発火点から爆発した感はあるが、ダイナミックな運動は強烈ではあるものの、けっして混沌ではない。」(『相克のエレガンス―野田正明の近作絵画』富井玲子 著 より) 色様々な多くの「かたち」は「そこにただ在る」のではありません。 互いにひしめき合いながら、エネルギッシュに活動をしているのです。 どころか、その多くの形態は、ややもすると絵から飛び出し来る勢いがあるのです。 野田さんが最初にとった表現は、版画だそうです。 70年代ニューヨークは版画ブームということもあり、才能ある版画家として活躍します。 しかし、次第にこの版画制作を苦痛に感じるようになります。 それは「自由でクリエイティブな行為」というよりも、「ルーティン的な機械的労働」に思えてきたから、だそうです。 そこで、より自由な表現を求めて、このような水彩で抽象表現主義的な作品を作り始めたということです。 ただし今「自由」という言葉を使いましたが、こうした抽象的な表現の作品は、観ている側からは「自由に何をやっても描いてもいいのだろう、正確な具象画を描くより簡単だ」と思われがちです。 しかし、実際に自分ででたらめに絵を描けばわかりますが、それでは「ただの落書き」になってしまいます。 作品としてそれを完成させることは、なかなか難しいことなのです。 これらの作品がそうならないのは、野田さんのプロ...

作品紹介4 ダグ・ウェブ

面白いもので、こちらの作品は、皆さん一瞥されると振り返り直し、二度見されます。 単なる風景写真だと思ったら、何かがおかしい…。 よく見ると細密に描き込まれた「絵」だし、何より「現実にはありえない風景」なのですから。 作者のダグ・ウェブ(Doug Webb)は、トルコのイスタンブール生まれ(1946年)。その後、アメリカはカリフォルニアに育ちました。 写真に見間違える程の緻密な描写は、彼が幼少の頃に端を発しています。 子どもの頃から写実的な描写に長け、やがて美術学校に進学しますが、ここで大きな転換点に遭遇します。 60年代半ば、時代は抽象芸術にスポットが当たっていたのです。 時代の潮流(抽象主義)と自分の写実的な芸術がそぐわなかったのでしょうか。彼はそこを一年で退学してしまいます。 その後数年のブランクを空け、彼に注目が集まりだすのは70年代になってからです。 現在では、1984年のロサンゼルスで開かれた「国際美術展」での金賞受賞を皮切りに、多くの個展・グループ展を開催。近年では大学で後進の育成にも当たっています。 さて、絵画で「ありえない風景」というと、絵画好きの方でしたら、サルバドール・ダリやルネ・マグリットに代表される「シュール・レアリスム」を思い浮かべるのではないでしょうか。 圧倒的な写実力を持ちながら、それが「時代の要求」とはならなかった。 しかし、それがむしろ、具象的風景ではない、抽象的な「超越した風景」との邂逅につながったのかもしれません。 しかも、そうした「現実にありえない風景」を描いたとしても、正確で密な描写技術によって「この風景はややもするとありえるのではないか?」と見ている人の認識をゆさぶる。 まさに「スーパー・シュールレアリスム」的な唯一無二の作風を完成させたと言えるでしょう。 彼は、眠りにつく直前の半覚醒の状態で浮かぶヴィジョンを基に、作品を作り始めるらしいです。 つまり、精神の無意識層にアクセスして、そこから作品のアイデアを引き出すということでしょうか。 アンドレ・ブルトンの自動書記を思わせる、まさにシュールレアリスム的なエピソードですが、それが超絶な写実的技巧で描かれるとこうなる。 皆さんも、 当ギャラリー で、ダグ・ウェブの「不思議な世界」を体感してみてくださいね。 Japan Art Prince(JAP株式会社)

作品紹介3 婁 正綱

  先日、ご来店されたお客様が、この作品を見てこうおっしゃられました。 「何か抽象画って、難しいのよね。」 ご覧になられていたのは、婁正綱の『和合No.95 No.96』。 ― 6歳から父親に教えられて書道を始めた彼女は、1979年12歳のとき中国政府の特別許可により中央美術学院に入学。14歳で中国書法家協会会員に選ばれるなど早くから天才的な才能を発揮し、多くの大会で入賞。 裏付けされた高度な技能、彼女独自の美的洞察力、深い素養をもって生み出されたシリーズ作品には『生命と愛』、『日と月』、『こころ』、『和と合』、『自然』、『万象』などがあります。 1986年より活動の拠点を東京に移し、書画・油彩・執筆と活動の幅を広げ、国内外での多くのグループ展・個展の開催はもちろん、著書も多くあります。 また2004〜2006年、テレビ東京の『こころの書』にレギュラー出演していたので、ご存じの方も多いでしょう。 彼女が生み出す書画作品は、中国水墨画の伝統と現代アートを融合させた作品として、世界で高く評価されています。 ― このとき、この絵の意味を解説するのをぐっとこらえて、「この絵から、お客様が何か感じ取ってくれたらいいな。」とただ思いながら、私は、そのお客様と一緒に、横並びに立ちただ眺めていました。 解説差し上げなかったのには、私なりの訳があります。 …私は小学校の頃、ある絵画教室に通っていました。 何を描いていたかは忘れましたが、何か遠くの山の上にある神社かお寺を描いていたと思います。 私は、その上の瓦を一枚一枚丁寧に描いていました。 すると、先生が私の絵を見て、私に妙なことを聞いてきました。 「あなたの目は、そんな遠くにある建物の瓦がしっかり見えるの?」 意味がわからず、とりあえず「はい」と答えました。 伝統的な日本家屋の屋根には、瓦がのっているに決まっているからです。 「そうかなあ?」と先生は私の手から筆をとると、せわしくパレットからいろんな色の絵の具をすくいながら、「先生には遠くのものはこう見えるなぁ」と、まるで「点」を打つように様々な色をのせていきました。 先生はそれ以上何も言いませんでしたが、よく考えてみると、そんな遠くの山の上にある家の瓦の一つ一つが肉眼でそんな細かく見えるはずありません。 仮に見えるとしても、(私は当時から眼鏡をかけていたのでなおのこと)「...

作品紹介2 ガレ風ランプ

  当ギャラリー を訪れた方の目を、かなりの確率で惹くのがこの卓上ランプ群。 先日お越しの女性のお客様も「かわいい、かわいい」とつぶやきながら、子どもを愛でるような眼差しでご覧になられていました。 丸っこいキノコ型のフォルムはたしかにかわいらしいですが、当ギャラリーのようにいくつも並んでいると、その「かわいらしさ」も相乗的に増しますね。 かたちもそうですが、当ギャラリーでは近づいて作品をご覧になることができますので、その際は色合いやカメオ彫りも、是非じっくりとご堪能ください。 19世紀後半、美のエポックメイキングとなったアールヌーヴォー。その中心的存在だった エミール・ガレ ( Émile Gallé )の重ねガラスのアートは、いまだ人々を魅了し続けます。 しかしその発祥地のフランスでは、現在この重ねガラスの工芸品は作られておらず、その製法や作風は、ヨーロッパでは唯一ルーマニアの職人に受け継がれました。 ここにある作品は、そうした難度の高い、ルーマニア製の手工芸ガラス製品です。 でもなぜ、ルーマニアでこのガレのガラス工芸が大きく栄えたのでしょうか? 古代、ローマ帝国の拡大により、帝国軍がルーマニアの先住民を征服、移住したローマ人(ラテン系)が先住民と混血となり、ラテンを基にした言語も誕生。やがてルーマニア語となりました。ですからルーマニアは、バルカン諸国唯一のラテン系民族。言語はイタリア語に近く、フランスなどの国とも親近性があります。 ガラス工芸は、帝国誕生からローマの地場産業でした。そんなガラス好きなローマ人のライフスタイルが、こうした歴史を背景にルーマニアにも根付きます。ルーマニアには、もともとガラス工芸の伝統があったのです。 時は進んで近世。ルーマニア国が誕生するとフランスとの交流が盛んになり、首都ブカレストは「バルカンの小パリ」と呼ばれました。時代はアールヌーヴォー期。ガレ風ガラス工芸の技術が流入します。 その後、本家フランスではガレが死去。ガレの死後もなお、工房は彼の遺族に引き継がれガラス工芸品の生産を続けましたが、世界恐慌などの影響で閉鎖されてしまいます。 一方、ガレ工房で働いていた職人の一部は、ルーマニアへ移住。そして工房の技術と作風を伝え、多くの腕のあるガラス工芸職人を育てました。 そして二次大戦後、チャウシェスク大統領の時代にガラス工芸専門...

作品紹介1 レオン・リシェ

 「天気がいいから、自然の中で、思いっきりリフレッシュしたい…。」 でも、このコロナ禍の中、家の周りのお散歩でも気を遣いますよね。 「本音言えば人の多い都心部から離れて、空気のきれいな山林で森林浴…。」 なんていきたいところですが、遠くへ出かけるのもためらってしまうご時世。 でもちょっと、 当ギャラリー に足を運んでみませんか。 当ギャラリーの入り口の左のショースペースには、大きな絵が飾られています。 この絵をご覧ください。 「なんだ。ただの鬱蒼とした森の絵じゃないか。」って?それは違います。 画面の奥をよく見てください。何か見えませんか? 「おや、人がいる?」 そうです。森の奥に、斧をかついだ男の小さな人影が見えますね。 こちらに向かって背を丸めているところを見ると、お仕事でしょうか、どうやら奥へと入っていくようです…。 なんて考えて見ていると、静寂の森の中へ誘われる気分になりませんか? ちょっぴり都会の喧騒を忘れられそうです。 幸い、当ギャラリーのある東京プリンスホテルは、東京の真ん中にあって緑豊かな広大な敷地にありますので、当ギャラリーに着くまでは、さしずめ「緑の散策コース」。 もちろん当ギャラリーは、東京プリンスホテルのB1Fショッピングアーケード内にありますので、「三密」を避けて、ゆったりと涼しい中で絵をご覧いただけます。 避暑地気分で是非お越しください。 さて、今回、ご紹介の作品は、19~20世紀初頭の、バルビゾン派のフランスの風景画家、 レオン・リシェ(Leon Richet) の「 ペイザージュ(Paysage) 」。 ペイザージュとは、風景画の大きさを表す記号でもありますが、「風景画」・「風景」を意味するフランス語。 風景という名前の風景画。何ともシンプルなタイトルです。 でも、日々の忙しい仕事で疲れた心身を休ませるには、この単純な題名さながら、難しいことを何も考えずに、この自然の「風景」をただ眺めるのも、ストレス解消にはいいかもしれませんね。 Japan Art Prince(JAP株式会社)