以前、別のページで「抽象的な絵は難しくない」というようなことをお話ししましたが、それは、こういうことからもわかると思います。
点や線、形態は、「単なる点や線、かたち」ではなく、スピードやリズム、ウェイトなどがあるものです。
卑近な例を挙げると、マンガの「効果線」。
マンガに出てくる線は、「ただの抽象的な線」ではありません。
様々な動きや意識の集中などを雄弁に語ります。
スポーツ製品のメーカーのナイキのロゴマークを想像してください。
とても軽やかでスピード感を感じませんか。
絵で扱われるのは「数学に出てくるような抽象的な線分や図形」ではない、ということは、こういう日常的な例からもおわかりいただけるかと思います。
この野田正明さんの作品も、そうしたことを十分教えてくれます。
「野田の近作絵画は(中略)ドリッピングや吹き流しで彩られた背景の上に、色様々な多角形や多面体が散在して、(中略)カオスに思える。それらの形態はいくつもの発火点から爆発した感はあるが、ダイナミックな運動は強烈ではあるものの、けっして混沌ではない。」(『相克のエレガンス―野田正明の近作絵画』富井玲子 著 より)
色様々な多くの「かたち」は「そこにただ在る」のではありません。
互いにひしめき合いながら、エネルギッシュに活動をしているのです。
どころか、その多くの形態は、ややもすると絵から飛び出し来る勢いがあるのです。
野田さんが最初にとった表現は、版画だそうです。
70年代ニューヨークは版画ブームということもあり、才能ある版画家として活躍します。
しかし、次第にこの版画制作を苦痛に感じるようになります。
それは「自由でクリエイティブな行為」というよりも、「ルーティン的な機械的労働」に思えてきたから、だそうです。
そこで、より自由な表現を求めて、このような水彩で抽象表現主義的な作品を作り始めたということです。
ただし今「自由」という言葉を使いましたが、こうした抽象的な表現の作品は、観ている側からは「自由に何をやっても描いてもいいのだろう、正確な具象画を描くより簡単だ」と思われがちです。
しかし、実際に自分ででたらめに絵を描けばわかりますが、それでは「ただの落書き」になってしまいます。
作品としてそれを完成させることは、なかなか難しいことなのです。
これらの作品がそうならないのは、野田さんのプロとしての「構成力」あるからです。
自由な表現が、ただ放埓にならず混沌とせず、あるまとまった作品として昇華するには、構成する力が必要なのです。
それは最初に述べたように「点や線やかたちは、スピードやリズムを持って動き回る」からであり、それを意図的にコントロールして、その絵の主題に沿わせるために必要なのが、「構成する力」なのです。
そして、それは逆に、「描かれるあらゆる『かたち』とはいかに躍動的か」ということの証左でもあります。
是非貴方も、当ギャラリーで、「形態のダイナミックな運動」を感じてみてください。